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永田礼次郎先生の事 ―柔道とプロレス格闘技―

先日「靖国神社とスポーツ」について展示会が行われた。その中に大正10年3月5~6日(1921)靖国神社で行われた異種格闘技の記録があった。アメリカ側はプロレスラー アド サンテルとヘンリー ウエーバー日本側は講道館柔道 庄司彦雄、増田宗太郎、清水一および永田礼次郎である。勝敗の結果は明記されていなかった。これが柔道との公式異種格闘技の初めである。嘉納治五郎先生はこの事は柔道理念を逸脱したものとして随分ご機嫌を慨されたと言われている。
さて、私が養正館に入門した昭和34年のある日、道場に初老(60歳くらい)のやや大柄の紳士がじっと我々の稽古を見ている。しばらくして奥の部屋に入り望月稔先生と談笑されている。翌日初老の紳士は背広のまま「もっとここをこうしたらいい」と技の指導をはじめた。「柔道をやったことがある人らしい」と思いながら指導を受けた。ネクタイを付けた紳士の指導は分かりやすく私が苦手であった内股技は懇切丁寧に個人指導を受け今でも技のポイントは忘れない。一週間ほどの交流であったが個人的に指導を受けた。後で望月先生から「あの人はプロレスラーと試合をした永田先生だ」と聞いた。
あの時プロレスラーのサンテルにヘッドロックをかけられ頭蓋骨が変形してしまったそうだ。どうりで頭が瓢箪のように窪んでいる。
今は「ハーモニカ奏者」として方々を旅していると云うことである。静岡はヤマハ楽器があり時々養正館に寄宿された。

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