手技、体技、足技、捨て身技を特色とする総合実践的な合気道を指導します

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望月稔合気道と「捨身技」導入の由来考

捨身技は望月稔合気道(国際武道正風会)の最も特色ある技である。合気道創始者植芝盛平先生の合気道は平面的な円運動が基本であるが望月合気道では捨身技を加えることにより「平面」から「球」の立体的運動へと次元的に飛躍した合気道である。古来の柔術において捨身技は効果的な技として位置付けられている。また柔道の基盤である起倒流由来の「古式の形」は表14本、裏7本あわせて21本のうち、11本が捨身技である。この形は起倒流を深く極められた嘉納治五郎先生が新しい柔道として技術的、合理的にも、さらに教育柔道の上で、有効であると認められ明治20年講道館の形として現在保存されている。さらに天神真揚流をきわめられた嘉納先生は当流の極意として一切傳書には記載されていない「五の形(いつつのかた)」を高度に思想化し洗練された動きとなり、これを明治20年講道館の形として制定された。(「秘録日本柔道」工藤雷介)。「五の形」は相手の力に逆らわないで勝つ、柔の理合いを表現したものと言われている。最初の2本は技の理合いを後半の3本は流れる水のごとく自然の動きを示し我が身を捨てている。「五の形」は三船久蔵先生が最も好んで演武され全日本柔道選手権大会などで私も数回拝見した。
当時講道館の三船久蔵先生は嘉納先生の教えを受け継がれて「技というものは科学的、合理的に研究しなければならない」と運動の形態は「球」の動きが理想とされ隅落(空気投げ)、大車、踵返、双手刈、三角固、球車、などの技を自ら創設され、さらに捨身技の研究をされた。一説には隅落(空気投げ)は植芝合気道をヒントにされたと聞く。
嘉納先生は身長157cm体重50kg、三船先生も同様小柄で決して恵まれた体格ではなかった。身体の小さい者や非力な者が大きな相手を倒すためには力のぶつかり合いでなく合理的、科学的に考慮して最も有効な技を研究された。嘉納先生の主宰されていた古武道研究会の一員であり又、三船先生の玄関子であった望月稔師範は当然お二人の強い影響があったのでないかと考えられる。
望月師範は1930年(昭和5年)嘉納先生の命により植芝盛平先生に合気道を習うことになる。すなわちこの時が柔道と合気道の出会いである。嘉納先生は植芝先生の演武をみて「これこそが私の理想としている柔道である」(同行した長岡秀一師範談)と早速、植芝先生に指導をお願いし門人望月稔を送りだした。
嘉納先生は以前より「離れた態勢での柔道(離隔柔道と称して)」研究されていた。講道館の富木謙治先生はこの問題に積極的に取り組まれ後に富木流合気道を創設された。
望月師範は植芝道場に入門して爾来、「柔道と合気道の融合」をテーマに研究、単なる両者の折衷では発展性がない。そこで柔道の欠点、合気道の欠点に注目し攻撃を「打ち、突き、掴み、組み打ち、蹴り、得物攻撃」の6種とし、自由乱取りを導入。技は「手技、足技、体技、足取り技、捨身技、寝技、関節極め技、首絞め技」と多くの技を臨機応変に駆使する望月稔合気道(国際武道正風会)が出来上がった。
自由乱取り制にすることにより攻撃に対して自由自在に技が出るようになり、さらに柔道の「古式の形」や「五の形」の試合では全く使う事ができなかった技が効果的に精彩を放ってきたことに望月師範は非常に感動したと後年語っている。特にその中で「捨身技」は大変威力のある技で自ら円転し自重を回転力に変え、無理なく小さな者が最大限の力を発揮できる。恩師嘉納先生の合理的、科学的思考と三船先生の「球」の動きを表出している。「柔道と合気道の融合」の結論は冒頭でのべたように「捨身技」を加えることにより「平面」から「球」の立体的運動へと次元飛躍したことであった。

しかし1964年東京オリンピック以後、スポーツ柔道となり僅差ポイント勝負の傾向となりルール上、勝敗に不利な捨身技の研究はあまりされなくなった。これは護身武道とスポーツの理念の違いである。だが最近(2018年から)、国際柔道連盟は「一本」の価値を重視するルールの改訂をした。これは柔道の面白さを高めるためにも評価され、さらに技の研究勝負になるのではないかと思う。その際「捨身技」を組み込んだ連続技は研究に値するのでないか。関係者の工夫に期待したい。

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